『飛露喜』誕生のストーリーと、語られる未来

現代酒質の幕開けを飾った第一世代であり、プレミアム酒の代表格となった今もさらなる飛躍を目指す『飛露喜』醸造元・廣木酒造本店。会津の酒の歴史や価値を変えたと言っても過言ではない存在だが、そのサクセス・ストーリーは廃業をも考えた苦難の時代から始まる。『飛露喜』躍進の立役者、廣木健司が考える“未来”とは――。

 

 

平成24酒造年度の「全国新酒鑑評会(新酒の出来栄えを出品酒で競う歴史ある鑑評会)」では、17銘柄の金賞酒を輩出した会津。現在では名実ともに銘醸地として知られているが、廣木健司さんが蔵に戻った1993年当時の会津は二級酒天国と揶揄されるほど三増酒中心の市場だったそう。

「うちも一升瓶1000円以下の商品がほとんどで、酒造好適米すら使ったことのないような蔵でした。鑑評会に出品したこともありませんでしたからね」。

杜氏の引退をきっかけに勤めを辞めて蔵に戻る決意をした廣木さんだったが、その矢先に先代の父が他界。廃業も考えたが、「どうせなら自分が最高に旨いと思える酒を造りたい」と母と二人だけで酒造りを始める。それが1996年、27歳のこと。どうやって販路を開拓するかも不透明なままのスタートだったが、ある“二本”の電話が『飛露喜』誕生のストーリーを動かす。

「NHKのディレクターを名乗る人から電話がかかってきたんです。会津の雪景色と風土を移し込みたいという内容の30分番組でした。月曜の朝に放送される番組でしたから、出勤前のサラリーマンが見て“世の中には大変な思いで働いている人がいるから自分も頑張ろう”と思える内容にしたかったようで。杜氏が引退して父親が他界、社員なしで母親と二人で酒造りをしている自分はうってつけの存在だったんでしょうね。僕はそんなかっこ悪い取材は嫌だと思ったんですけど、生まれたばかりの子供が物心つくまで酒蔵を続けている自信はなかったので、自分が酒造りをしていたという事実をNHKの記録として残せるのなら……と取材を引き受けたんです。で、その放送を見ていた小山商店さんから“あなたはまだ若い。本気でいい酒を造ろうと思っているなら応援するよ”という内容の電話をいただいたんです」。

初めての造りでは、新潟酒をモチーフに淡麗な酒を目指したそう。当然、本家新潟の蔵が醸す酒に敵うわけもなく、箸にも棒にもかからない。その翌年、目をかけてくれた小山商店への御礼と挨拶を兼ね、「蔵の中で一番旨い酒を」と搾りたての生酒を送った。すると、まだ無濾過生原酒という言葉が流布する前の時代に、“この酒は面白い”と小山商店の先見により商品化が決まる。最初は『泉川』の名で30本からのスタート。これが『飛露喜』の起源だ。

『飛露喜』と名乗るようになったのは1999年から。そのフレッシュでジューシーなお酒は、やがて60本、100本と生産数が増え、女将さんの手書きだったラベルはコピーとなり印刷へと変わっていく。

「僕が無濾過生原酒で戦えたのは、他の人よりも少し早く商品を出せたから。10年前に僕が造った無濾過生原酒を今の時代に持ってきても、かなり低いレベルのものだと思います。だから無濾過生原酒でしか勝負ができないなら、いつかダメになるとも思っていました。酒の造り手としてのステージに上がれたのは、2005年くらいからですね。定番商品となる1回火入れの『特別純米 生詰』が上手くできるようになってからです。僕は今も、1年通して定番商品を安定した酒質で出せることが、酒蔵の本当の力だと思っているので」。

何月に出荷するかを逆算して麹を造るため、同じ『特別純米 生詰』という商品でも、9月に出荷する商品と2月に出荷する商品とでは造り方が異なる。『飛露喜』のラインナップには季節商品もあるが、定番酒を安定して提供することで絶対的な信頼とブランド力を勝ち得てきたのだ。

そんな『飛露喜』の姿を見て、酒蔵として新たな希望を抱いた次世代蔵元は多い。蔵元だけではなく、酒販店もそう。会津が銘醸地となった背景には、『飛露喜』の成功がさまざまな形で影響している。そんな廣木さんに、躍進目覚しい次世代についても聞いてみた。

「かつて僕は『十四代』さんや『磯自慢』さん、『醸し人九平次』さんに刺激を受けて酒造りをしていました。もちろんいまも尊敬する存在ですけど、最近は会津の次世代が造るお酒に刺激をもらっているように思います。会津以外のエリアにもいいお酒を造る若手がいるので、福島は層が厚いですよね。だから今の状況を自分が引っ張って作り出したって感覚よりも、あぐらをかいていたら絶対に追い抜かれるなっていう感覚です。かつては良かったと言われないように頑張れているのは、彼らの存在があるからだと思います」。

現在は1600石の生産石数を持つ廣木酒造本店。でも、100%満足できる酒を醸すための適正石高は半分の800石だと廣木さんは言う。ではなぜ、1600石を造っているのか――。

「800石を10年間生産しただけでは見えない世界が、1600石を造ることで見えてくるんです。それは資本力がついて、新しい投資ができるということ。僕は資金を蓄えて、いつかは農地を所有して精米所も建てたいと思っています。僕が目指す酒蔵像には、二つのイメージがあるんですよ。ひとつは会津の人が都会に就職して、心細い思いをしたときに飲んで故郷を誇りに思えるような酒であること。もうひとつは、結婚を決めた男が相手側へ挨拶するときに持っていきたいと思える酒であること。つまり、人の人生に寄り添える酒でありたいんです。味が旨いのは当然。米作りや精米といったバックボーンまで、これからしっかり築いていきたいと思っています」。

 

 

廣木酒造本店

福島県河沼郡会津坂下町字中二番甲3574